北ちゃりを追い駆けて

3 月 5th, 2009 by admin

北ちゃりを追い駆けて 2007/08/1015  鈴木しょーま

 

Members         

北ちゃりスターディングメンバー 

 

本多明保 3男(CL) 千載一遇九死に一生のモテ期到来中!

キノピオ 2男 (SL)飲むとマアキバオーに・・・

田中 1男 飲むと走り回り、うるさい・・・

ダー 1男 飲むと幸せそうにニンマリ・・・

大地 1男 飲むといきなり「I Love You」コールをしだす・・・

レゴ 1男 飲むとレゴで女を泣かす・・・

レッドドラゴン 1男 飲むと赤い炎を吐く・・・

          

鈴木 翔允  しょーまない三男 コードネームは「シマウマ」文責

以上、ムサイ8人の男達の北海道 2007年夏!!

 

 

              始 


              壱

 

遠くの方から、男たちの挽歌が聞こえる。寝静まった札幌の街に、怒濤の歌声がこだましていている。

「さっぽろ~おれったちっのさっぽろ~!!」

「わっせだーわっせだー!!」

 

八月一四日、札幌ビール園、かの有名な札幌生ビールの一大生産拠点に我らの歌声が猛々しく響き渡るまでには、いろいろあった。

 

僕、シマウマはある特命を受けて、本多が率いる北ちゃりに合流すべく、8月10日早朝、独り上野を旅立った。

 

北ちゃりの7名は、僕が出発する5日前の8月5日夜、上野で決起会を行い、全員が玉砕した後、足取りもおぼつかない中、鈍行で北へ旅立った。この記録はすばらしき男企画北チャリの企画者、本多明保とその勇敢な子分たちに捧げたい。

 

座席が直角の常磐線に揺られること数時間、見慣れたトーキョーを抜け、山を越え、谷を越え、列車は北へ、北へ。

仙台を過ぎて岩手へ入った辺りから、空気が変わった。

夕日を受けて単調に弾むローカルのドアーの隙間からにおってくる風が、懐かしい。北ちゃり一行も同じ列車に乗って北を目指したのかと思うと、途端に人恋しくなる。

 

午後21時、その日の旅も終わりに近づく頃、今日の終着駅、盛岡に着いた。

駅の入れ物は大きいが、周りにはあまりに何も無い。北口は飲み屋の灯に賑わっているが、南口はバス停だけが煌々と明かりを放っていて、どことなく淋しい。

やはり独りだからか、旅疲れのせいだろうか。

(そういえば、岩手育ちのあの娘はいまどうしているのだろう・・・)などと考え、余計淋しくなる。

 

テントも持ってはいたが、さすがに張る気力はない。今夜は屋根の下で眠りたい。

そうこうしているうちに、カプセルホテルを見つけた。駅前の「カプセルホテル盛岡」一晩温泉つきで3300円、いただきだ!

     

                 弐

 

翌早朝、再び北を目指して岩手銀河鉄道、青い森鉄道で都港、八戸を目指す。

朝靄の中を列車は過ぎてゆく。どこか日本離れした広い牧場が目に付く。賢治の故郷、花巻を過ぎた辺りから、列車は急にスピードを上げ、買った本を読む間もなく八戸へ到着。

 

特急「白鳥」に乗り換え、いよいよ津軽海峡越えだ。ここらへんはローカルが通っていないので、18切符で乗れる唯一の特急がこの「白鳥」である。

 

トンネルに入る瞬間、「白鳥」が鳴いた。朝の津軽海峡に、白鳥の高く鋭い声がこだました。

 

長いながいトンネルの末、目が覚めると北海道最南端の港町、函館だった。

 

さすがに腹がへったので、波止場のラーメン屋で昼飯にした。やはり、北海道の塩バターラーメンはうまかった。次の列車まで時間があるので、港を散歩した。

 

さすがは函館、どこもかしこも海産物を買い求める人でごった返している。

そんな片隅に、引退した青函連絡船がひっそりと立っていた。

 

かつては内地とここの渡しで賑わったこの船も、いまはこうして息を潜めている。そこになんともいえない落ち着きを感じ、出発までの時間はここでじっとしていることにした。

 

沖で行き交う船やかもめを無心に見ながら時間を潰すこと3時間、やっと僕を自転車を送った駅まで運んでくれる列車が入ってきた。

 

ゴトン、ゴトン。列車は函館を後にした。しばらく走った頃、やはり来た。

「ただいまより、皆様の乗車券を拝見しにあがらせていただきまーす」

とにこやかに挨拶した後、人の良さそうな車掌が切符を見に来た。

こういった汽車では、駅の数も乗客もまばらなため、ヒマを持て余した車掌の一番の仕事は乗車券の確認に違いない。そんなことを思っている間もコツコツと車掌は迫ってくる。こういった汽車に無賃乗車が多いのは事実だが、実際、この僕も例外なくキセル乗車である。

僕は誰も降りないような最短の駅までの券しかもっておらず、それを見せて車掌に怪しまれないかドギマギしていた。と、僕のひとつ前の席に座っていた同い年くらいの女の子二人組の所で、車掌がぴたりと止まった。まさか・・・

そのまさかだった。

車掌の表情は、今までのあの人のよさそうなにこやかなものから、いきなりやくざモンのそれに変わっていた・・・

「お嬢ちゃんたち、切符はぁ!?」

「・・・」

「これです、許してください・・・」

「これ仙台までしかないオ!?」

「仙台からだと、二人で16000\だよぉ?」

(°;;;;)!!!

 

キセル発覚の瞬間を初めて見た僕はびびり、函館で食ったイカが口から出掛かっていた。

最短の特急券を見せて一旦やり過ごすと、そのままトイレで八雲まで過ごす事になった。

途中トイレのドアがしつこく揺すぶられることもあったが、なんとか難を逃れ、八雲に到着した。

僕は勝った。

 

ついに来てしまった。北海道の地に・・・

周りには途方もない北海道の原野以外何もない、ただただでっかいこの土地に来てしまった感慨と、これからどうやって本多一行に追いつくのか、という不安が混在していた。僕はしばらく駅に立ち尽くしていた。

 

日も西に傾きかけた頃、愛車は組み立て終わった。ナイトランに備え、へ電などの電装を強化し、いざ本多のもとへ出発だ。

 

グリップを握り、ギアの回転数を上げる。国道沿いをひた走っていると、昔の感覚が帰ってくる。懐かしい・・・久しくお世話になっていなかったが、このチャリで南九州、三浦、富士山、瀬戸内を走ったのだ。企画の思い出深いシーンが、一緒に旅したメンツの人懐っこい顔と共に思い出される。

 

知らぬ間に回転数はトップにまで上がり、メーターは35を回っている。(いかんいかん。これでは山越えはもたんぞ)と言い聞かせ、スローダウンしようとするが、カラダが言う事を聞かない。早くみんなに会いたい一心で、スピードは下がってくれない。

 

夏の北海道の日は長いが、それでも午後7時をまわるとさすがにあたりは暗くなる。

最後に残りかけた西の夕焼け空が消えかけるころ、僕は長万部から国道5号線を10キロほど山間部に入った峠道を走っていた。

北海道はまっ平らな道ばかりとタカを括っていた僕は、そのうねりくねりに早くも音を上げそうになっていた。これはとんだマゾ企画だと、気づくまでに随分時間がかかった。本多め・・・

さらに驚いたことに、ここ北海道には、幹線道路を猛スピードで大型車両が通る。その割に、街灯がない。あるのは20メートル間隔で点滅する、赤い矢印だけである。

これは明かりとしてはないのと一緒で、頼れるのは先ほど取り付けた自分のLEDとハロゲンランプだけである。

LEDは一灯だけなので、日本一周組が点けているような強力な8灯のものとは比べ物にならないほど貧弱だ。

おまけに腹も減ってきた。こんなことなら長万部でもっとちゃんと補給しておくべきだった、と後悔するも、いまさらもう遅い。なにしろ、前も後ろも見えない・・・

 

このまま峠を突っ切るか、泊まるか悩んだあげく、おあつらえ向きの無人駅を見つけ、そこをテン場とすることに決めた。

 

駅といっても、古い錆びた車両の中に木のベンチを運び込み、待合室代わりにしただけの駅で、トイレも水道もない。テン場としてはなんとも心細いが、トラックの下敷きになるよりはましである。

無人駅のベンチで、一冊のノートを見つけた。どうやら自然人のラウンジノートのようなものらしく、この駅に来た人が思い思いに綴っている。

その中のいくつかは僕と同じ状況になってこの駅で雨露を凌いだ人の声だった。誰もいない無人の駅の待合室は、いつしか勝手に賑わっていた。

 

乗客のいない最終のディーゼルがポーっと汽笛を鳴らし、函館へ向けて重そうなおしりを引きずっていってからは、待合室の電気も消え、あたりは真っ暗になった。

 

なにもすることが無いので、寝る事にした。明日はまた早い。

 

                参

 

翌朝、目は自然に開いた。夜遅くまで地響きのように唸っていたトラックの轟音は、どこにもない。峠全体が霧に包まれ、テントは朝露でびしょびしょに濡れている。

出発の準備をしていると、どこからともなく、スルスルスルっと顔や体に蜘蛛の糸が絡まる。何回振りはらっても30秒とたたない内に、次から次へと絡まってくる。同じ場所に立っていられない。北海道の大地で蜘蛛に捕食されそうになっている自分にふきだしつつも、急いで準備を整え、歯も磨かずに峠を下った。

北方の大自然というのは美しいが、ここまでくると、人間はその中に埋没しないようにするために案外必死である。

 

霧の中、黒松内の丘をすべり降りる。霞でよくは見えないが、向こう側には広々とした牧草地があり、早起な牛たちが草を食んでいる。途中、ひょこりと出てきたキタキツネと目が合った。あまりに人間的な顔をしていてやや驚いた。ここでしばらくキツネと戯れるのもいいか、とも思ったが、本多一行に追いつくことが今日の課題である。先を急いだ。

 

しばらく走ると鶏のマークのコンビニがあった。セイコーマートという。

ここで朝飯を済ませ、次のコンビニまでの補給をした。なにしろコンビニがない。

水や食料がある所で補給しないと、途中で脱水症状になる可能性もある。ここは慎重を期した。アップダウンの多い山の道路なので、峠を一つ越えると、汗がざあざあ出てくる。飲まないとあっという間に干上がる。というわけで、2リットルのお茶を一本と、WCの水を入れた500ミリのペット2本を搭載し、いざニセコへ!

 

走行距離のメータがもうすぐ120キロを越えようとしているころ、余市に着いた。空は薄いブルーをしていて、もうすぐ夕焼けが西へ追いやられようとしていた。はやく着かないとまた独り寂しい夜を送ることになる。

今夜はみんなと安心して眠りたかった。

独りの夜というのも、それはそれで自由だし、スリリングでいいのだが、やはり淋しい。独りを望んでいるようで、実は淋しがり屋な自分が少し不思議だった。

 

余市市内に入り、段々と人の営みが感じられると、逆にみんなに会いたい気持ちが高ぶり、落ち着かない気持ちを抑えて漕いだ。

と、そのとき本多氏から電話があった。伝えていた時間よりも遅いので心配して掛けてくれたらしい。

電話越しに久しぶりに仲間の声を聞き、体の中からパワーが出てきた。

僕は残りの5キロを全速力で漕いだ。

 

その夜は酒がうまくていい夜だった。風呂にも入れたし、一男の作ってくれたカレーはうまかった。そして何よりも男しかいない!!こんな気楽な企画はない。男しかいないとなれば、する話はねんねな話しかない。

 

そんな、ねんねな話を肴に焼酎と“アップルワイン”という名前のブランデーを飲んだ。「しょーまさんの歓迎会だ」といってやたらに注がれたので、後半はあまり覚えていない。

 

酒を飲むうちに、この濃いメンツの一部を垣間見た。

レゴという勇敢な一男は、レゴで女を泣かした話をし、それにみんなが爆笑していた。

田中はアップルワインで気持ちよくなったのか、意味不明の奇声を発しながらテントの周りを飛び回っていた。

ダー濱田は相変わらずご満悦でニンマリしていたが、真正面に座っている池辺のへ電に照らされてお化け屋敷のゆうれいみたいになっていた。

そんな池辺はいままでの数々の粗相に反省しているのか、みんなの振りもクールに代わしていた。僕は少しがっかりした。あの赤い炎を吐く龍のような池辺の姿はそこには無く、“できる男池辺”がそこに座っていたからだ。あの月例一次会の時のように、粗相をものともしない武士(もののふ)のような池辺に帰ってきてほしい。

そしてその隣の大地は、なぜかおとなしい。だがこれは嵐の前の静けさだった。それは本多の記録に克明に描かれることになるだろうからそこに譲る。さらにその隣の木下は、ホントはこの中で最もすごい奴なのだが、僕は札幌ビール園の夜までそれを知らなかった。あの顔は忘れられない。

こうして余市の夜は更けていった。

                 四

 

翌日、日向ぼっこをするみんなを離れ、僕は積丹岬を目指した。

せっかくみんなに会えたのだから、みんなと一緒にいればよいのだが、漕ぎたい気持ちがそうはさせてくれなかった。もはや一時も同じ場所に留まっていたくなかった。木下や大地に聞けば、積丹の海は、積丹ブルーといって沖縄のコバルトブルーとも瀬戸内海のエメラルドグリーンとも違う、独特の美しさがあるというではないか。そんな海があるなら行くしかない。

 

本多と大地に見送ってもらい、僕はシコシコと坂を上り始めた。見送りの時、大地が「きょうの夜はまた一緒に飲めますよね?」と聞いてきた。僕は孤独を好いてもいたが、この一言でまたみんなのところに戻ろうと決めた。

 

それからいくつもの坂を上っては降り、たくさんのトンネルを越えて、午後2時くらいに積丹に着いた。岬まで上がって行くと、目の前には見渡す限り積丹ブルーの海が広がっていた。透明な薄いミドリと、透き通るような青を程よく混ぜ合わせたような色だった。飲み物でいうと、メロンソーダとサイダーとレモンを混ぜて透明にしたような感じだ。

途中の坂は想像以上に粘り強かった。時速5キロくらいで汗まみれになって上っていると、時折追い越していくバイクや車からガッツポーズをしてくれたり、「がんバレー」と励ましたりしてくれる人もいた。そんな風に励まされると、その瞬間だけメーターが二桁になったりした。

 

昼下がりの太陽の照りつけがあまりに激しいので、僕はしばし昼寝にすることにした。その前に積丹と神威の両岬を見渡す、「岬の湯」に入った。露天風呂で、雄大な景色を前に、入浴客はみんな「あー、あー」とか「おーおおお、おー」とかいいながら、ほぼ放心状態で湯に浸かっていた。

 

午後7時、僕は迷っていた。人影のない北の岬の防波堤で、夕陽を眺めていた。眺めていた、というよりは夕陽に吸い込まれそうになっていた、といった方が正しいかもしれない。積丹の夕陽はあまりに美しかった。美しすぎて、退廃的だった。こういう夕陽は今まで見たこともなかった。

 

もう、ここでテント張るか・・・みんなのとこには明日行けばいいし・・・僕は岬のあまりの美しさに、大地との約束を忘れそうになっていた。

しかも、北海道は広すぎてとても街灯が立てられないから、真っ暗になったら自転車で走るのは自殺行為にひとしい。どうしようかとても悩んだ。

 

だが、僕はこの時、夜の7時から灯りのない山道を小樽まで行く、その無謀さとスリリングさに魅了されてしまっていた。それに、夕陽はきれい美かったが、見るほどに寂しくなった。どこか淋しさを含んだ美しさだったのかもしれない。

 

今朝、どうしても積丹岬の夕陽を見たいと思ったように、今は夜の小樽を見下ろしたい気持ちでいっぱいだった。星屑のようなネオンに輝く運河や港が頭から離れなくなり、次の瞬間にはペダルに足を掛けていた。

 

岬からの坂道を降りだした時、既に太陽はなかった。あたりには夜がゆっくりと降りてきていた。冒険には常に危険が付きまとう。リスクを味わうことこそが、冒険の楽しさだ。暗くなった車道を、たった二つのライトを頼りに西に向かってぶっ飛ばした。だが、はじめはリスキーな冒険に酔いしれていた僕も、やがてリスクを味わうどころではなくなってきた。あたりは完全に真っ暗になり、行きには見えたはずの山や標識が何も見えなくなってしまった。どこまで戻ってきたのかもわからなくなった。ここは岬に行くためだけの道で、余市からの一本道だから迷うはずもないのだが、上っても上っても坂が終わらなかった。時折、ものすごい轟音とともにトラックがすれすれを追い越していく。

おまけに、二個のライトのうち一個は、はじめは自動車のライトのように明るいが30分間つけていると切れるという、なんとも頼りがいのあるマイクロハロゲンで、もう一個はLEDではあったが、一灯だけのやつだった。これでは白線を見失わないようにするので精一杯の明るさだ。道がわからない・・・

 

泣きそうになった。おかーさーん。声が届くはずもない。

 

そんなとき励みになったのは、小樽でみんなが待っているということだった。

小樽まで行けば、またみんなと飲める。そう考えるとふつふつと力が沸いてきた。

それでも途中、疲れて道端で寝ようと思ったこともあったが、寝て五分も経たないうちに大量の蚊とクモの襲撃に逢い、やはり人間は大自然の中では生きていけないことを悟った。僕は再び漕ぎはじめた。

 

そうして夜の10時くらいに余市に戻った。山道が終わり、街へ戻る真っ暗な道で煌々と灯りを点けて道路工事をしている人の姿をみると、なぜか無性に安心した。

 

余市までくれば、小樽は目と鼻の先だ。

と思っていたが、それが案外そうでもなかった。小樽まで行くにはまた山を一個越えなければならなかった。だが、地図を見てなかったので、山を一個越えたことに気づいたのは小樽に着いてからだった。

 

坂を上りきって、市街へと続く坂を下りながら見た小樽の街並みは、想像していた程輝いてはいなかったが、それでも小樽に着いたんだ、という気持ちが夜景を一層美しく見せた。

 

11時ころ、本多に電話した。向こうもまさか積丹から小樽までナイトランしてくるとは思っていなかったようで、仰天していた。普段なかなか僕の自然人レベルを認めてくれない本多を驚かすことができ、ナイトランのしがいがあったなと思った。一歩間違えれば別の意味で驚かすことになっていたわけだが・・・

 

ともあれ、午後11時30分。ついにみんなのところに到着した。「オスパ」という健康ランドが今夜の泊地だ。風呂に入れる喜びが押し寄せる。がんばったあとの風呂は最高だ。

さらに、そこにはなんと布団まであった。それをいいことに、肝心の本多は既に酔い潰れ、床に入っていた。本当は彼と一杯やりたかったのだが。

一方で、一男はパワーが有り余っているらしく、着いて早々にカラオケに誘われた。彼らは僕よりも一週間も前に北海道に入り、100キロ以上多く漕いでいるハズなのに、若さとはすばらしい。

 

結局その日はほぼ徹夜でカラオケをし、レゴの完璧なアニソンを聞いたりした。彼はあのままガオガイガーの収録に行けるだろう。

 

                 伍

 

束の間、ふかふかの布団で寝たあと、翌朝9時にオスパを追い出され、一行は札幌を目指した。

札幌では本多のお母様が薄汚れた僕らを優しく出迎えてくれた。お母様が茹でてくださったとうきびがうまかった。北海道のとうきびはこんなにも甘いのかと感動した。

そして夜7時。本多明保率いる男衆7名プラス1名のはぐれ者はビール園を目指して行進を開始した。みんな新鮮な肉とうまい酒に飢えていた (;´Д)ハァハァ

 

 

その後なにが起こったのかは、より詳細な別途報告に任せたい。

 

END

 

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